日経電子版の有料会員数がどうもこの3月中に20万人台に乗せたのではという噂がある。
確認が取れているわけではないが、今までの伸びのペースから見るとさもありなんという感じではあるので書いておく。
ところでこれが日経の売上にどれくらい貢献するのか。
単純計算すると、単価が5000円弱としてトータル年100億円弱になる。
日経は非上場企業なので決算が常に最新の状態で公開されているわけではないが、巷の情報だと連結3000億、単体1700億程度の売上だと言う。
とすると、この電子版が100億弱あるとすれば、連結3000億円の売上に占める割合は3%ほど、単体では6%弱になる。
こう書いてもピンと来る人は少ないかもしれないが、これは快挙だ。
なぜなら、今まで全大手新聞社の売上に占めるWebの割合は1%未満*だったのだから。
(*この数値の出所は確か1,2年くらい前の週刊ダイヤモンドの推計)
それが整数の段に乗ってきて、しかも単体では四捨五入すれば10%台が見える位置にまで来ている。
紙とカニバる(共食いする)恐れから電子版にも関わらず本紙とほぼ同価格帯の値付けをした結果、スタート当初は大失敗も予想されたものだが、なんだか相当短い間に隔世の感すらある変化だ。
Webにおけるニュースメディアの収益化については一家言お持ちのMyNewsJapanの渡邊さんが以前の著書で「日本で課金モデルでちゃんと収益化出来ているニュースメディアはうちだけ」といったことを書かれていた気がするが、新聞社も本気を出せば紙の代替としての収益化のステージまで辿りつけなくは無さそうな空気になってきた。
ただ、ぼちぼちスタートする朝日の電子版が同じように上手くいくかどうかは個人的には怪しいと思っている。
日経が経済専門紙で「お金を払ってでも買いたい」と一定数の人が思う類の情報を発信しているのに比べて、朝日の言う「クオリティペーパー化」というのがちょっとよく分からないから。
要は日経電子版のケースはまだ現時点では特殊な一例に過ぎないのではないか、ということだ。
それに、先ほど「本気を出せば」と書いたのはつまり、既存事業とカニバることを覚悟のうえでやるべきことを全部やるという意味で、そのなかには紙を犠牲にするような内容も当然含まれる。
雑な仮定だが、僕が日経の喜多社長の立場であればそれは躊躇うというのが正直なところ。今も主に紙で稼げているんだから、ジリ貧でももうちょっと紙で頑張ろうぜ、と。こうなってしまう。
だとすると以前書いた第三の収益源を当然考えなければならないが、コンテンツ自体を収益化する方法は課金や売買以外に全く無いわけではない。
ここで例示そして提起したいのは、記事コンテンツをどうにか自社媒体で見せようという外形的なことに拘らずに、流行りのキュレーションメディアをはじめWeb上のあらゆる媒体でまずは人の目に触れさせて、結果発生したそれぞれのメディアでのレベニューをシェアする形だ。
これは僕の思いつきではなく、アメリカの一部サービスで既に取り組みとして始まっているもので、それにはあのCNNも参画しているようだ。
特にテキストコンテンツについては、Webに一旦公開してしまえば右クリック禁止をしようが何をしようがSNSやブログや2chニュー速みたいなところにどんどん転載されてしまう。つまり「シェア」が基本的な概念になっている。
そういう「Webの概念」は著作権の"厳重な"保護とはおよそ相容れないものだが、しかしコンテンツが多くの人の目に触れ、利益を生む機会を創ることにはなる。
かなり以前に(僕が中学生くらいの頃と記憶している)記事見出しをWebのニュースティッカーに配信した企業を読売が訴えて、最高裁まで争った挙句負かしたことがあったが、そういう著作権裁判をやって得る利益よりはこの上記の方法の方が利益は大きいはずだ。
僕らは会社としても、「ニュースはタダ」なWebの時代にあってもニュースメディアを収益化しようということは、ビジネスとジャーナリズムを今後50-100年は両立させ続けるために非常に重要な取り組みだと思っている。
であればこそ、そのロールモデルはvingowや仮想通信社事業を通じて積極的に、且つ主導的に創っていきたいところだ。
それも、上記例はよりハードルの高い「第三の収益源」としてのコンテンツ売買の模索以前にできる工夫だからなおのこと、旗を振りたい。
少なくともWebニュースメディアに限って言えば「著作権」という考え方を教条主義的に守ることが結果的に"著作者"の手足を縛っている側面が目立つ。
著作権はある時期までは著作者を守るための権利概念として重要な役割を果たしたが、今Webの時代にあってはその"教条"を頑なに守り通すことで彼らのコンテンツが多くの人の目に触れる機会を逸するし、結果より大きな収益化の機会も失うし、新たな取り組みもできないし、ハッキリ言ってもう何も良いことがない。
※誤解なきよう付記すると、パクられた方が良いとかいう話をしているのではなく、出所あり元記事リンクもありの状態で引用なり転載されることはパクられていることとは全く異なるので、著作者側も混同して対応すべきではないということだ。
言い方を変えれば、僕が問題提起したいのは「著作権は本当に著作者を守っているのか」ということだ。
少なくとも、Webニュースメディアに関して言えばこれはNOだと断言できる。
結局、Webで良いとされることと、教条主義的に解釈した「著作権」との間に相当相違があって、「権利」を守ろうとすればするほど著作物自体の価値が損じ、収益を生めない状況になっているのだ。
Webの概念に従えば、ニュースコンテンツは公開した時点で一気にシェアされて大勢に読まれて、その後話題が盛り下がっても検索でアーカイブスとしてまた掘り起こされて、と多重活用されて価値が最大化されるはずだ。
(そういうことを肌で理解しているネットユーザーは、開設したブログにソーシャルボタンやはてぶボタンを付け、またSEO対策に勤しむ)
ところが、逆に著作権を教条主義的に解釈してガチガチに"守る"とシェアもダメ、アーカイブスもリスクがあるからアウト、とおよそWebでは箸にも棒にもかからない類のものに成り下がる。
著作者を守るはずの「著作権」が、逆に著作者を損させている。これは完全な矛盾だ。
思うに、そういう教条主義的な著作権の解釈と、Web上のコンテンツ価値最大化との間にある矛盾を解決しようということで頭の良い人たちが考えたのが例えばCreative Commonsだったりする、と。
Creative Commonsの提唱者は10年以上前にこのジレンマを見通しソリューションを示したのだろうが、現状を見ればレガシーな"著作者"側は未だ思考がこのレベルまで追いついていないことになる。
ただ、だからと言って「こちら側(Web側)」にいる人間も、彼らは古いし頭も悪いんだとか失礼なことを言っていると恐らく法的にゴリゴリに詰められて立つ瀬が無くなるだろう。
やはり「悪法もまた法なり」だから、望みもしないのにL社のH氏のように毒杯を呷らなければならないかもしれない。
それを避けるには、つまり「新時代の基盤としてのWebであなた方の利益はこう最大化されます!」というストーリーを僕らから大胆に示し、丁寧に説明していなかければならないのだ。
その「大胆に示す」方法についてはやはり腹案があり、多少のリスクもあるが彼らのためにも、そして良質なジャーナリズムの存続のためにもぜひ体を張って示していきたいと思っている。
新聞社をはじめとする「Web以前」のメディアは、ともするとバカにされがちだが、僕は個人として大変な敬意を持って彼らを見ている。
些末な問題は多々あれども、民主主義を守るために彼らがこれまで果たしてきた役割は大きい。
だからこそ、この新時代においても彼らの駆逐を望むものではなく、ともにWebから新しい収益源を得て共存共栄する道を探るべきだと強く思っている。
そのためには、彼ら自身にも「Webの概念」に正面から向き合い、自らのコンテンツ価値を最大化する方策をともに考えてみてほしい。
偉そうに書いてしまい恐縮だが、そんな風に考えた日曜の午後。

